アドラー心理学と会議ファシリテーション

会議ファシリテーション:「嫌われる勇気」への大きな誤解を読み解く

会議ファシリテーション:「嫌われる勇気」への大きな誤解を読み解く

書籍『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀健史 著 ダイヤモンド社)によってアドラー心理学は大きな注目を浴びました。
 
「他人の人生を生きるのではなく、」
「嫌われる勇気を持ち、自分の人生を生きる。」
 
この本を読んだ方々の感想として多いのが、こうした部分への共感です。
それはそれで、とても良いことだと思うのですが、一部「積極的に嫌われよう!」と、その解釈を誤解している人もかなり多いようです。
 
今回はその「嫌われる勇気」の解釈について考えてみたいと思います。
 
あなたの組織でみんなが「嫌われる勇気」持って「自分らしく」「自分のやりたいよう」に行動したら、どうなるでしょうか?少し考えてみてほしいと思います。
 
「この仕事はやりたくないんです。」
「その仕事はやってみたいです。」
「あの顧客のところへは行きたくないんです。」
 
いくら本人の意思を尊重しようにも、全ての意見を取り入れていては仕事が成り立たなくなりなるでしょう。
ですから、そこには一定の節度や配慮というものが必要となってくるのです。
 
「嫌われる勇気を持って行動した結果、多くの人に迷惑をかけました。」
これではとても健全な生き方とは言えないでしょう。
 
アドラーが自身の心理学で最も重視したのは「共同体感覚」というものです。
人は必ず何かしら共同体に属しています。
会社、家族、学校、地域、国など、どれも共同体と言えるでしょう。
 
「どの共同体にも属していない」という人はいないはずです。
大きい視点で見れば、我々は地球上で「人類」または「世界市民」という共同体に属しているとも言えるのです。
そうした共同体への所属意識や、共同体への貢献感をアドラー心理学では「共同体感覚」と言います
 
確かに「嫌われる勇気」を持って、「自分らしく生きる」ことも大切だと思います。
しかし、それが「共同体感覚」から逸脱していれば、それはただの「傍若無人」に過ぎません。
 
ここでアドラーの言葉を紹介します。
 

“自分のことばかり考えていないだろうか?
奪う人、支配する人、逃げる人、
これらの人は幸せになることができないだろう。”

 
自分の振る舞いが「共同体感覚」に沿っていなければ、アドラーの意図していることとは異なります。
 
人に嫌われることで、自分らしい人生が生きられるわけではありません。
より大切なのは「自分らしい生き方」が、「共同体」への貢献になっているのか。
そこへの自覚が必要だということです。
 
人が属している共同体にはさまざまなものがあります。
では、いったいどの共同体への貢献を考えればよいのでしょうか?
そのヒントとして、もう一つアドラーの言葉を紹介します。
 

“判断に迷った時は、より大きな集団の利益を優先することだ。
自分よりも仲間たち。
仲間たちよりも社会全体。
そうすれば判断を間違うことはないだろう。”

 
いかがでしょうか?
ビジネス用語で言えば、「部分最適でなく、全体最適を考える」と言い換えることできるかと思います。
ぜひ建設的な解釈のもとに、アドラー心理学を活用していただければと思います。(終)
 
 
※引用は「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」小倉広 著(ダイヤモンド社)より